【第39次隊】大同高校ボランティア体験サポート

第39次隊は、スマイルコンテナの伊藤さんから「大同高校の生徒が東日本大震災のボランティアに参加したいと言っているので名古屋西に参加させて貰えませんか?」との問い合わせがあり、生憎夏休み中の出動予定がありませんでしたので高校生がやりたいと思っているボランティア活動をサポートするという事で計画されました。これまで名古屋西は現地の高校生を対象とした活動をしたことがありませんでしたので、南相馬市内で仮設校舎で勉強をしている高校生との交流ができれば… と種々模索し、大同高校からも相手校に直接交渉して貰ったのですがマッチング出来ないまま当日を迎えました。

参加者は、男女6人の生徒と1人の先生、渡辺さんと私の合計9人で薫分教会のワゴン車をお借りして、8月21日8時 大同高校を出発、新東名ー首都高速ー常磐道ルートで亘理町へ、二年半ぶりに「ドライブインサザエ」で夕食、復興した「わたり温泉鳥の海」で入浴を済ませ、鴫原さんのお宅に宿泊させていただきました。

そこへ宗則隊員に縁ある新野さんからの差し入れを山元町で被災された弟さん御夫婦がお届け下さり、夜のミィーティングで美味しく頂戴しました。

22日は早朝より鴫原さんのお話を聞かせて貰い、動画で見せてもらった閖上の日和山へ移動、隣接のNPO法人 地球のステージ「閖上の記憶」では写真や映像を見ながら語り部さんのお話を聞かせて貰い、直ぐにまた亘理町の苺農家へ移動、津波で全滅し自力再建した小野さん宅前の苺ハウスを見学の後、国の復興交付金等を活用して建設された巨大ないちご団地へ移動し、ハウス内35℃の中で高設栽培で葉欠きをした後の落ち葉の掃除を全員で汗だくホコリまみれになりながらもお手伝いさせてもらいました。

午後は、山元町立中浜小学校へ移動、二階まで被災した校舎を見学し、ここでお世話になった鴫原さんとお別れして南相馬市へ移動し、15時より牛越仮設住宅にて津波の被災者と原発事故の被害者の方に当時の生々しいお話しや現在までの苦悩、まさか自分がこんな目に遭うとは思っていなかったけれど、被災して失った日常を取り戻すには自分たちでやらなくては… と仮設に入る時も少し広い部屋ができるまで待ち親子三代で住むようにし、今後も自分たちの力で再建していこうと思っているとの決意を伺うことが出来ました。

原発事故の被害は放射線量の問題ですが、直接は家族がバラバラに暮らさざるを得なくなっている事ではないかと思います。しかし、どんな時も諦めず自分たちで家族一緒に暮らし日常を取り戻す努力をしてこられた御夫婦のお話は心に響きました。終了後は、そのまま牛越仮設の集会所に宿泊させていただきました。

23日は南相馬市原町運動公園内にある小高工業高校の仮設校舎を見学に行ったところ、偶然にも雨の降るなか野球部が駐車場で練習をしていまして、話を聞けることになりました。

現2、3年生は入学から卒業までこの仮設校舎で過ごし、1年生は小高工業高校の本校舎をリノベーションして小高商業高校(原町高校内で勉強している)と一緒に使えるようにして3年生には本校舎へ戻れる予定だそうです。仮設校舎であるにもかかわらず入学した理由を聞くと「みな大人が復興をしようと頑張っているので、自分たちも仮設校舎であっても頑張る姿を見せたい。自分たちの出来る事は野球なので、野球でみんなを応援したい。」と… 涙腺の脆くなった爺さまはウルウルでした。

取材の後、うちの隊長は天理高校野球部OBで今連絡があり「天理高校と練習試合しませんか?」とゆうてますけど… と伝えた時の部員たちの嬉しそうな顔。忘れられません。

(※現在、隊長が小高工業高校野球部の天理遠征プランを立て監督と交渉中です。実現すると良いのですが… ただ実現すると名古屋西の活動は最後になってしまうかもしれませんね)

その後、小高区へ移動して人気のない街を抜け、小高工業高校の本校舎を間近で見て牛越仮設へ戻りました。牛越仮設では「セーブ南相馬プロジェクト」の皆さんが活動しておられたので合流して僅かな時間ではありましたが、お話をさせて貰う事が出来ました。

午後は、富岡町へ移動し本年10月大同高校の文化祭へ来られる「富岡3.11を語る会」の仲山さんの案内でJビレッジ(原発事故収束に当たる作業員の拠点)→富岡駅(津波被害の爪痕が残る)→仲山時計店(仲山さんのご自宅)→夜の森(http://www.nhk.or.jp/ohayou/marugoto/2015/04/0410.html)と震災当日から今日までのお話を伺いながら見学して現地での活動を終了しました。

以下、23日の夜に大同高校の生徒さんが話してくれた感想です。

今回のボランティアは、自分の好奇心から参加したんですけど、この三日間鴫原さんとか牛越の仮設住宅の人とかいろんな人にふれ合えて、震災の話を聞いたり見たりして、改めて自分の今いる環境がどれだけ素晴らしいものなのか、という事がよく分かって良かったです。

テレビを見て知ってる位のレベルの話しか知らなかったのですけど、実際来て色んな話を聞いてみて、なんかテレビとかで見た映像とは違い、実際に津波の被害を見ると津波の恐ろしさを実感できました。

富岡の避難区域で、実際にクルマから降りてみても全く人が居なくて、そんな風景は滅多になくて衝撃的でした。
また、昨日(22日)津波に被災された方が話してくれてる時、言葉に表し様のない様子だったのですが、津波の被災家屋を見て言葉に言い表わせないことがよく分かりました。

テーマは「原子力」で、今年が戦後70年ということもあり8月初めに戦争ということについても渡辺陽一さんとも関わったりしていて、話の中に広島の原爆も出てきましたし、今回の震災でも福島第一発電所の津波による事故があり、現在原発について推進派、反対派があり社会問題となっている。自分は、社会問題に関心がありどちらが正しいのかを知りたくて今回こちらに来ました。

いろんな話を聞いて富岡の施設を見て回ってもとても恵まれていて、事故があるまでは原発があったから栄えた街なのも事実でしたし、原発が全て悪かったという感じでもなくて、傍から見ると津波が来て原発が遣られて放射能が出て家が汚染されて家に帰れないとか、土地に被害を及ぼしたとか悪い話ばかりだけれども、こちらの人はもう受け入れている感じがしました。今までの原発のあり方とこれからの原発のあり方、原子力自体をよく考えなくてはいけないと思いました。

また、震災当初の写真や動画、手付かずで残っている津波被害の様子を見た時、来る前に見た戦争の画像と同じだと感じました。

今回こちらに来て津波の被災地の、中浜小学校の時計が止まっていたり教室の窓枠が壊れて教室に流されていたり床板が反っていたりしたのを見てすごい被害だったんだなと実感できました。また、帰宅困難地域で人が一人も居なくて、ただ信号だけが動いているのが虚しくて、そんな所に歴史のある建物があり近くに行きたいと思っても線量が高いので近づけない。身近にあったものが身近に無くなってしまったのは寂しいけれど、それを身近に戻すためにこういうボランティアとかの作業があって、僅かな時間でしたがイチゴ農家で作業を体験できたことはすごく良かったし、津波被害の地域や原発被害の富岡を自分の目で見ることができたことも本当に良かったです。私は、ここに来る動機が軽かったので恥ずかしい気持ちにもなり、次回チャンスが有ればもっと作業のできる服着てちゃんとやりたいです。

これまで見てきた画像は現実味がなくて映画の映像のようでもあり現実感が無くわからなかった事が、実際に自分の目で壊れた建物を見ると伝わってくるものがありました。自分は津波に遭ったこともないしもし自分が津波に遭ったら… とかも考えたことが無かったので実際に見るということは大切なことだと感じました。

今回は、お父さんが原発のところで探索する機械を作る仕事をしていて、どんな所で使われているのか知りたくて参加しました。見ることは出来ませんでしたが

被災地は、テレビで見るのと現実は違っていました。よく被災地の事で再建するとかしないとかの意見があって、家でテレビで見てる時は直ぐに決めてしまえたのですが、実際見ると迷ってしまうところが一杯あって全然違うなと思いました。

鴫原さんは、震災があってから先頭に立って自分一人でも動き出し自分で家を治したりして本当に凄いなぁと思って、自分が愛知とかで地震が起こった時にちゃんと動けるそういう人に成りたいと思いました。